ジャケットMMA≒柔道+空手 KARATE+JUDO≒KUDO 御茶ノ水(淡路町・小川町)にある総合格闘技道場。

(社)全日本空道連盟 総合武道 大道塾 御茶ノ水支部

主将のコラム

コラム ~#31 › コラム #30~#1

column#33

社会的評価や金銭を得られない競技の場合、
何のために頑張っちゃうのか? その1

「インセンティブがない」
 そう言われたんだよな。学生に。
「みんなで頑張って、全日本目指そうよ」って話し合いのときに、な。

難しいところだよな。

 メジャー競技だからこそ、よき成績を納めれば、金銭に結びついたり、社会的評価を得られる。だからモチベーションを得られる。でも、メジャー競技だからこそ、その頂の高さを知って、やる気を失う人も多い。
 それに対し、マイナー競技だと、努力次第で頂に手を掛けられそうな気がして、やる気が涌く人も多い。一方で、マイナー競技だからこそ、よき成績を収めても、金銭や社会的評価に結びつかなかったりする点で、モチベーションを得にくい。
 結局、ないものねだりなんだよな。
 メジャーな世界にいりゃ「この世界でそこそこの成績を残すより、鶏口牛後であるべきなんじゃないか」、マイナーな世界にいりゃ「ここでいい成績を残したって、井の中の蛙なんじゃないか」って。ネガティブに考えちまう。
 キャリアも金銭も副産物的に得るべきもので、本質的には、パフォーマンスを上げようと努力する理由は「その競技が好きで、もっと楽しみたいから」であるべきなんだけどな。
 レスリング界の人が、MMA の世界を「あっちは低レベルだから…」と蔑むのを耳にすると、悲しくなる。だって「柔道に比べれば、自分たちは競技人口はずっと少ないけど、そんなこと関係なく、レスリングが大好きだから、頑張ってる」っていうのが、彼らの誇りのはず。その、日本の格闘技界においてはダントツ競技人口の多い柔道も、高体連の登録人口は、野球の20分の1以下※1なんだからさ。五十歩百歩の世界で上を妬んで、下を見下すなんてカッコ悪いよな。
 で、その野球は、世界的にみれば、サッカーやバスケットボールより格段に競技人口の少ないド・マイナースポーツだよ。で、そのサッカーは、国内の審判登録人口だけで4 万人※1いるわけだけど、黎明期に、金にも名誉にもならないにもかかわらず競技を楽しんだ先人がいたからこそ、今があるわけで。
 ダブルダッチ世界一なり、けん玉世界一なり、人と違う道を選んで極めた人ってカッコいいしな。水球の人口が日本で4,000 人※1で、その大半が子どもだって聞いてもな、水球選手へのリスペクトは変わらんだろ。卓球やジョギングは親しむ人が多く、誰もが気楽に試合(レース)に参加するスポーツであるのに対し、ラグビーやMMA は競技者は少ないのに「自分ではやったことないけど観るのは大好き」という人が多いスポーツ。
 結局のところ、スポーツそれぞれに特性があるだけで、発展途上の競技だからこその面白みもあれば、メジャー競技ならではの報酬もあるわけで、どれが価値があるとか、価値がないとかいうものではない。

「メキシコの漁師の話」※2があるだろ。
 金は幸福を得るための媒介であって、それ自体が目的じゃない。金を稼いで、その金を使って、楽しいことを手に入れて、はじめて意味を持つ。金を稼ぐことに懸命になりすぎて、楽しいことを何もしないまま死んだんじゃ、意味がない。逆にいえば、金を稼ぐというプロセスを経ずに、金を掛けずに楽しいことが出来たら、それは良きショートカットだ。
 スポーツで経歴や金銭を得て、何かに換えようとするよりは、スポーツ自体を楽しむことを目的とする方が、よっぽどワープかと思う。
 よく「金にもならないのに、なんで稽古したり、指導したりするのか?」と訊かれるけど「普通は稼いだ金を使ってフィットネスクラブに通ったり、ゴルフしたり、海外のリゾートで波と戯れるところを、こっちは金を使わずに楽しんでいるんだから、いいんじゃない?」と思う。人に教え、その成長を見守るのは、植物を育てるように楽しいしな。

…とは言っても、自分自身、若い頃は、何かしらアイデンティティーを得たい一心で、ギラギラした思いがあったからこそ、稽古に打ち込んでいたからな。まぁ、よほどの聖人君子でないかぎり、楽しむためだけに武道やスポーツと向き合えるようになるのは、歳を取ってからで、若者のうちは、キャリア至上主義で当然。
 仮にキャリアが本質じゃないって気づいていたとしても、キャリアを手に入れずに「キャリアなんていらない」って論をぶっても、負け犬の遠吠えみたいに思われるだけだから、「キャリアを手に入れてから、キャリアなんていらないって言おう」って考えたりするよな。
 今よりずっと“大道塾の王者”がチヤホヤされた時代に若い時期を過ご
した世代が、金じゃねぇだろ、名誉じゃねぇだろと、綺麗事を押し付けるのは、不況を生きる今の若い子らに失礼なのかもな※3
 運営サイドは、それが武道の本来的な目的ではないにしても、研鑽を重ね好成績を残した者が、社会的な評価を受けられるように、ジャンルの価値を高めていかないとな。一方で、若い連中にはオリジナルの道を究めるってことは、カッコいいんだぞ、と言いたい。

※1確か、そういうデータをみたをみたんだけど、おぼろげな記憶。ま、このHP のコラムレベルでは、出典を明示できなくても、いいよね。
※2メキシコの漁村を訪れた金持ちが、昼前に漁を終えて自宅に戻る漁師に出会ったときの会話。
「いい魚がいっぱい獲れてるね。まだ昼前なのに、もう帰るの?」
「今日の分はもう釣れちゃったからさ。」
「帰ってどうするの?」
「午後は子供と戯れ、夕暮れには飲みながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」
「なぜもう少し頑張って漁をしないの? もう少し長い時間、漁をすれば、あなたならもっと沢山の魚が釣れるでしょう」
「釣ってどうするの?」
「どうするって、それらを売ればもっと多くのお金が手に入るから、もっと大きな船が買える」
「で?」
「そしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行き、その後は、必然的にロサンゼルス、ニューヨークへ。どんどん仕事を増やせるよ。」
「・・・。そのあとはどうするの?」
「富を手に入れたら、あとは海辺の町に引っ越し、釣りでもしながら、家族とのんびり暮らせるようになるさ」
……というお話で、金稼ぎを目的としてしまう人生へのアイロニー。足るを知れってことだな。主将が今、サラリーマンでいる理由は“仕事を持って、遊びで武道をやる”という社会体育の手本を示すためなんだけど、今後の環境問題のなかで “富を求めず、好きなことをして、生きるに困らない程度の金だけを稼いで暮らす”というライフスタイルの手本を示すためには、魚釣り……空道(+格闘技全般)にかかわる環境づくり……を生業にして暮らしていくのもアリかな、と思ったりしている。ただ、現在、サラリーマンでいるもう一つの理由は“(広い意味での)保険を得るため”であり、家族の生活がある程度保証されるだけの保険が揃うまでは、やっぱり終身雇用に近いシステムから踏み出せないかも。どのレベルを“ある程度の保証”と考えるべきか? その見極めが難しいんだよな。欲張ったり、慎重になりすぎるとキリがないからな。
※3“キャリアを得ることがスポーツに打ち込むことの本質であるべきではない”という論調で書いていると、誤解されそうなので追記しておく。10 代や20 代の若者は、周囲が十分に評価するであろうことでも、卑下しがちなもので、就職活動中の学生なども「マイナースポーツのキャリアなど評価されない」と思い込みがちだが、実際には“他の人とは違う道を選んで打ち込んだ”というキャリアを評価する人(採用側)も、案外多い。誰もが評価するわけじゃないし、誰も評価しないわけじゃない。空道の実績は、それなりにキャリアになるよ。まぁ、実際、腕がよければコレでメシを食っていくことも可能だしな。日本が沈んでも、武道の腕さえあれば、世界で食っていけるのは、確か。ある意味、凄くツブシが利く。

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